無審査推奨工人の父実太郎について、昭和45年より木地挽を修業し、無描彩の作品を中心に制作している。 宮沢賢治の姿を感じさせる形のこけしも人気がある。 宮沢賢治の姿を思わせるこけしもある。
白石市の佐藤兄弟について、木地挽を習得し、昭和34年花巻に来て椿こけしを創作し、同60年より俊春型こけしも製作している。
鳴子の伊藤松三郎の弟子、父末吉について木地挽を学び、昭和21年から鳴子系を継承し、昭和21年より制作している。
無審査推奨工人の父英吉について、昭和30年より木地挽を修業、同47年より音治型、英吉型を継承する。
父梧郎について木地挽を学び、昭和28年より新型を創作していたが、同47年から照井音治の弟子藤井梅吉の遺族の諒承を得て梅吉型を継承する。